2011年7月22日金曜日

NS展に向けて平野啓一郎さんから寄せて頂いた「時は今、栄えている。」というエッセイ、会場では透明の円柱状にプリントして展示されている。






















時は今、栄えている。
 
猛スピードで膨張し続ける広大な宇宙空間で、
DNAの複製を繰り返す人間の細胞の内側で。

朝、東から太陽が昇り、夕方、西に太陽が沈むあの空で、
冬の降雪を堪え忍んで、春に花を咲かせる桜の木の枝で。

見知らぬ二人の人間が出会って、やがて愛が満ちる。
そこに、時が流れている。
一つのアイディアが芽吹いて、一つのかたちとなる。
そこにも、時は流れている。

そう遠くない昔、人間は、この多種多様な時を、
同じ一つの大きな時へと、束ねることを夢見ていた。 
あらゆる時を、たった一つの時の下に!
 
そうして時を支配したはずの人間は、
気がつけば、時に支配され、
巨大な文字盤の上で目を回していた。 

今、個々の時は再び解き放たれて、
あらゆる場所で、あらゆるテンポで、
生き生きと、自由に流れ始めている。
 
人間は、もう一度、それぞれに時を取り戻し、
〈わたし〉化するプロセスにある。
同じ一つの大きな時に身を委ねるのではなく、
それぞれが、〈わたし〉化した小さな時を持ち寄って、
束の間、親密に、〈わたしたち〉化した時を分かち合う。
そこに、創造の場所が開かれている。
そこから、新しい言葉と新しい物が発信される。
 
21世紀のファウストは、叫ぶだろう。
無数の時よ、止まるな、と。
そう、お前たちこそは、いかにも美しいから!

平野啓一郎

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